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神の啓示

孤児マホメッド

預言者の結婚

試練と嘲笑のなかで

イスラム
共同体建設へ


悲しみの619年

ヒジュラ(聖遷)達成

民族宗教から
世界宗教へ


マホメッド、
剣もて立つ


ユダヤ教・
キリスト教との訣別


メッカ、栄光への行進

世界最大の宗教
イスラム教の成立


40のハディース
連載 ビューティフルワールドH
マホメッド− 世界最大の信者数を誇るイスラム教の創始者 −

イスラム教 は7世紀前半に成立した比較的若い律法の宗教です。そして、それゆえにエネルギッシュです。日本人は、聖徳太子の言葉を現在の世界に復活させるなどとは、誰も考えないでしょう。しかし、今日、約12億の人口(世界人口の約20%)を擁するイスラム教の世界では、24時間すべての教徒が同じ法の下で生活し、そのことについて語り、本を読み、言葉を聞いているのです。そこで今月のビューティフルワールドでは、世界最大の信者数を誇るイスラム教の創始者マホメッドをご紹介致します。


● 神の啓示


時は西暦610年。日本では推古天皇と聖徳太子の時世です。場所はアラビア半島の中ほどにそびえ立つヒラー山の頂上。一人の男が頂上にある洞窟で瞑想にふけっていると、いきなり凄まじい衝撃に見舞われました。超自然的な何者かが彼の身体を抑え込み、「読め!」と鋭く迫ってきたのです。それは、まことに衝撃的な出来事でした。抑え込まれて息絶え絶えになった男は、今にも死ぬかと思いながら、「何を読めばいいのか」と必死になって尋ねるのですが、その何者かはひたすら彼に強く迫ります。「読め、さあ読め!」と。男は再び死ぬ思いをしながらも、この恐るべき者の来襲に耐え忍びます。そして、三度「読め!」と迫られ、たまりかねて再度問い直しました。「一体何を読めばいいのか」と。そこで、その何者かは初めて答えました:

読め、「あなたの主は最高の尊貴であられ、
筆によって(書くことを)教えられた御方。
人間に未知なることを教えられた御方である」
- コーラン 96章1〜5節 -

マホメッドはそれをひたすら復唱しました。どのくらい経ったでしょうか?何者かはそれをじっと聞いていると、ふっと姿をかき消してしまいました。意識が戻り、まどろみから目が覚めました。しかし、心に刻み込まれたその章句は生々しく存在していました。と、洞窟から出たマホメッドに、再び何ものかの声がしました。「マホメッドよ、汝は神の使徒である…」思わず顔を上げてみました。それは、壮絶な光景でした。その何者かは、両足で地平線をまたぎ、すっくと立っているではありませんか!眼を背けました。その場を逃れようと試みました。しかし無駄でした。得体の知れぬ何者かは、行く先々に現れ続けたのです。マホメッドは、ただ立ち尽くしてそれを見つめていました…。これが『預言者伝(スーラ・ナバウィ−ヤ)』の伝える啓示の際の光景です。そしてこれ以後、マホメッドのもとへは神の啓示が頻発します。そしてここに、ユダヤ教、キリスト教と続いてきたセム系一神教最後の分派『イスラムの預言者マホメッド』が誕生しました。マホメッド40歳の時のことでした。


● 孤児マホメッド


さて、そのマホメッドですが、誕生は570年頃とされています。血筋の上からはメッカの有力な部族クライシュ族に属していましたが、幼い頃に両親を失くし、孤児として叔父のアブー・タリブに育てられました。このことからも、マホメッドは、幼くして早くも運命の辛惨をつぶさになめた人であることがわかります。彼には、両親の温かい愛に包まれた懐かしい幼年時代というものがありませんでした。成人して自分の子供の頃を憶い出すとき、彼の記憶に先ず浮かんで来るのは苛酷な人生の試練ばかりでした。さればこそ、コーランの中には繰り返し「親なし子」が重要なテーマとして現れてくるのです:

断じていけない。
いや、あなたがたは孤児を大切にしない。
また貧者を養うために互いに励まさない。
しかも、その遺産に食らいつき
金の亡者に成り下がる。
- コーラン89章17〜20節 -

預言者としての地位も固まり、将来の見通しが明るくなりかけてくると、溢れる感謝の憶いを神に捧げる彼の心に、哀れな孤児としての幼い自分の面影がくっきりと浮かび上がってくるようになります。コーラン第93章はこのような心情において唱われた神への感謝の歌です。孤児であった自分を見捨てずに優しく救い上げ給うた神、この心の底から込み上げて来る感謝の念に、アッラー は慈愛の神としての姿をはっきり示し始めるのです:

朝の輝きにおいて、
静寂な夜において誓う。
主はあなたを見捨てられず、憎まれた訳でもない。
本当に来世は、あなたにとって現世より、
もっと良いのである。
やがて主はあなたの満足するものを御授けになる。
彼は孤児のあなたをみつけられ、
庇護なされたではないか。
彼はさまよっていたあなたをみつけて、導きを与え、
また貧しいあなたを見つけて、
裕福になされたではないか。
だから孤児を虐げてはならない。
請う者をはねつけてはならない。
あなたの主の恩恵をのべ伝えるがいい。
- コーラン93章1〜11節 -


● 預言者の結婚


さて、叔父の傍らにひき取られてから最初の結婚にいたるまでの期間は、錯綜し紛糾する伝説の連続で、どれが歴史的な真実なのか誰にもわかりません。当然のことでしょう。名もない一介の孤児に、誰がそれほど注目するでしょうか。辛うじてその姿が見え出すのは25の時、ハディーシャというメッカの女貿易商と結婚をした頃からです。当時、マホメッドはハディーシャのもとで交易に従事していました。彼女はマホメッドの誠実な人柄と仕事ぶりを見て、結婚を決意したといわれています。彼女は当時40であったというから、マホメッドは15も年上の女性と結婚したことになりますが、ハディーシャはマホメッドを支え続け、終生変わらぬ理解と愛情を注ぎ続けました。

そして、結婚後15年を経て冒頭の啓示を受けることになります。伝承によればこの時、マホメッドはジン(精霊)に取り付かれたのではないかと思い、震えながらハディーシャのもとへ戻ってきました。しかし、彼女は脅える夫を支え、神の加護を説き続けました。「アッラーはあなたを決して見放したりなさいません。弱者や貧者や旅人や不幸な者を助けてあげているあなたのことですから…」ちなみに、マホメッドの最初のムスリム となったのもこのハディーシャであり、苦しい布教の最中にあって力強く励ましたのも彼女であることから、その存在がいかに大きなものであったかが偲ばれます。


● 試練と嘲笑のなかで


思えば、セム系一神教の預言者は、常に激しい試練に遭わされます。預言者とは、絶対なる神と、嘲笑と黙殺に満ちた人々の間で神の意を説く仲保者です。当然、布教を開始したマホメッドには厳しい試練が待ち受けていました。しかし、人々にしてみれば、彼らが反発してきたのにはそれなりの理由があります。なぜならマホメッドは、唯一絶対神アッラーの権威を背景に、彼らが依って立っていた血統の優越性を完全に無視し、思想的にも部族的なモラルが無価値であることを宣言したからです:

げにアッラーの目より見て、
汝らのうちにて最も高貴なるものは、
汝らのうちにて最も畏神の心深き者なり。
- コーラン第49章13節 -

人間の高貴さは、生まれや血統から来るものではなく、ただひとえに敬神の念の深さによって計られる…。これこそ、イスラム教という新興宗教の最高原理だといえるでしょう。つまり、マホメッドは従来の伝統規範を否定し、唯一神への絶対帰依をもって革命的価値転換を図ろうとしたのです。


● イスラム共同体建設へ


では、なぜそのような価値転換を図らなければならなかったのでしょうか?それは、当時の伝統規範が機能しなくなっていたからです。もともとアラビア社会は、典型的な血の連帯意識を共有する結縁社会でした。この血縁によって結ばれた社会は非常に強力なものがあり、外に向けては結束力を、内に向けては相互扶助を保証するものでした。例えば戦利品を得た場合も、連帯集団の長がその四分の一を獲得しましたが、それは集団の富であり、貧富の区別なく皆に分配されました。ところが、商業化による富がもたらされるようになると、急速に個人主義が台頭し、連帯意識が喪失してゆきます。その結果、寡婦や孤児に代表される貧者や弱者が捨て去られることになります。そして、そのような人々をなおざりにしながら、拝金主義と快楽主義が横行します。マホメッドが見た世界とは、まさにこのような世界だったのです。

このような世界に身を置きながら、マホメッドは、血の関係よりも理想的な共同体の上に築かれた契約関係こそ重視すべきであると考えました。その結果として生まれたのが「ウンマ」と呼ばれる共同体の概念だったのです。これに対して、初めはせせら笑っていたメッカの住民でしたが、マホメッドの教えが部族的な枠を超えて大きな広がりを見せるようになると、序々に危機感を募らせました。そしてついには、直接的に迫害をしてくるまでになったのです。このためマホメッドは、自らのもとに集まったムスリムを、二度にわたってエチオピアに移住させなければなりませんでした。


● 悲しみの619年


マホメッドを取り巻く状況は、さらに困難の度合いを増してゆきます。619年に妻であるハディーシャが亡くなり、その2日後には、叔父のアブー・ターリフが亡くなりました。マホメッドは、心の拠りどころとしていた人物を立て続けに失ったことにより、慰めようもないほど嘆き悲しみました。さらに、心機一転行ったタ−イフでの布教も完全な失敗に終わりました。マホメッドが最も苦境に陥った時代です。こうした状況は彼に降ろされた啓示にも反映し、恐ろしく切迫したものとなっています:

恐れおののく日
恐れおののく日とは何か
恐れおののく日が何かを
お前に知らしめるものは何か
それは、人が飛び散る蛾のようになる日
山々が硫かれた羊毛のようになる日
その時、秤が(善行で)重いものは、
満ち足りた暮らしを送るであろう
しかし、秤が軽い者は、その住処は
地獄となるであろう
それがいったい何であるかを知らしめるものは何か
それは灼熱の業火
- コーラン第101章1〜11節 -

これを聞いたメッカの人々は、その終末論的な情景にすくみあがりました。何という世界を彼は語るのか!何という終末を彼は描くのか!かくしてメッカ時代のマホメッドは、かつての預言者たちと同様に激しい人々への警告者として登場してくるのです。


● ヒジュラ(聖遷)達成


しかし、マホメッドの警告は、受け入れられることはありませんでした。いや、警告を発すれば発するほどその反発も強くなり、反イスラムの趨勢が決定的なものとなりました。そして西暦622年。ついにメッカでの布教がままならぬ事態に陥ってしまいました。伝統的価値を死守しようとする者たちが、マホメッド暗殺を図ってきたのです。もはや一刻の猶予もなりませんでした。幸い、メディナの住民の信者たちから受け入れを申し出られていたマホメッドは、移住を決意し、生まれ故郷のメッカを後にします。これが有名なヒジュラ(聖遷)です。以後、メディナにわたったマホメッドは、8年にわたって多神教的色彩の濃いメッカ側と対峙します。そして、単なる警告者としての立場を超え、政治家、軍事司令官、立法者として活躍します。すなわち、当初、メディナの一族長でしかなかったマホメッドは、メッカとの抗争を経るに従い、その発言権を増大させ、遂には立法、司法、行政のあらゆる権限を一手に集中してゆくのでした。


● 民族宗教から世界宗教へ


人は、メディナに遷ってからのマホメッドは政治家としての本性を暴露したといいます。純朴で真摯な宗教人はどこかへ消え失せて、狡猾な抜け目のない権謀述数の人になりきってしまった、と。しかし、それを非難のつもりで言うのなら間違っています。マホメッドは宗教人であると共に、初めから政治家でもあったのです。マホメッドは、メディナに居を移して間もなく、同市の行政改革案を構想し、発表します。これは、アラビア民族の生活に対する根本的な革命を意味するものでした。これによって部族というものは完全に有名無実の存在となり、政治と宗教とが渾然一体をなす新しい共同体が主権を掌握しました。それは、さしあたっては真の意味でのイスラム教団の成立でしたが、さらに大きな歴史的見地に立って見れば、一個の新しい国家の出現にほかなりませんでした。いわゆるサラセン帝国の誕生です。言うならば、マホメッドの仮借なき政治性によって、はじめてイスラムは民族的宗教から一躍して世界的宗教の資格を勝ち得たといえるのです。


● マホメッド、剣もて立つ


メディナに遷ってから、マホメッドの発表する「啓示」の性質がにわかに大きく転換し始めたことは言うまでもありません。メッカではコーランは「警告」でしたが、メディナではもっと肯定的な「導き」となりました。今や祭政一致の大国家を建設しようという野心的なマホメッドです。この崇高な目的への進路を阻む者があれば、遠慮なく剣で斬り殺してしまえ!かくて、この頃の啓示は、信徒に向かって盛んに戦闘を勧める色合いが濃いものとなります。世に言う「聖戦」 です:

あなたがたに戦いを挑む者があれば、
アッラーの道のために戦え。
だが侵略的であってはならない。
本当にアッラーは、侵略者を愛さない。
かれらに会えば、何処でもこれを殺しなさい。
あなたがたを追放したところから、
かれらを追放しなさい。
本当に迫害は殺害より、もっと悪い。
…これは不信心者ヘの応報である。
- コーラン第2章190〜191節 -

マホメッドがメッカ側と矛を交えた戦いは、大きなもので3つあります。バドルの戦い(624年)、ウフド山の戦い(625年)、ハンダクの戦い(627年)です。このうちバドルの戦いでの圧勝が、マホメッドの権威を飛躍的に増大させました。なぜなら、アブー・ジャブル率いるクライシュ族のメッカ軍は1000名、対するイスラム軍は300名。圧倒的にイスラム軍が不利と見られていたにもかかわらず、マホメッド側の大勝利となったからです。彼は、戦いに参加したムスリムたちに向かってこう述べています:

あなたがたがかれらを殺したのではない。
アッラーが殺したのである。
あなたが射った時、あなたが当てたのではなく、
アッラーが当てたのである。
これは、かれからの良い試練をもって、
信者を試みになられたためである。
本当にアッラーは全聴にして、全知であられる。
このようにアッラーは、不信者の計略を
無力になされる。
- コーラン8章17〜18節 -

この勝利によって、マホメッドは自己に対する神の守護を確認する機会を得ました。また、戦いに参加したムスリムたちは、アッラ−がマホメッドを支援していることを確信し、ジハードとは、アッラーに導かれた正当な戦いであると信じるようになりました。こうして、イスラム教は最後の預言者による啓示であり、絶対至上の宗教として存在することが確認されたのです。


● ユダヤ教・キリスト教との訣別


メディナ遷行からメッカ入城に至る8年間、マホメッドが敵として闘ったのはクライシュ族だけではありませんでした。当初、マホメッドは、ユダヤ教徒に対して自分の教説が受け入れられるのではないかとの強い期待を抱いていました。同じ啓典の民として、メッカの多神教徒と共同して戦えると思っていたからです。彼が、メッカとエルサレム(ユダヤ人の聖地)の双方をキブラ(礼拝の時に向かう方向)としていたことは、そうした思いが働いてのことでした。ところが、ユダヤ教徒はみなマホメッドの敵に回ってゆきました。いや、メッカの多神教徒以上にマホメッドに抵抗してゆきます。

いかに苛酷な拷問を受けても、どんな惨烈な禍難の裡に投げ込まれても、絶対に父祖の信仰を守り通そうとするユダヤ人の宗教性は、マホメッドが考えていたような甘いものではありませんでした。彼らは、マホメッドの聖書に対する知識の欠如を嘲りました。そして、その解釈の誤謬を鋭く突くのでした。さらには、マホメッドが多数の女性を妻に迎えたことに対して、公然と揶揄嘲笑しました。「この好色の偽預言者が!」と。彼らの視線は限りなく冷ややかでした。このため、マホメッドも急速に反発を強めてゆき、メッカ側に勝利して自己の地歩を築くと同時に、これらユダヤ諸部族を次々と追放・粛正していったのです:

あなたがた信仰する者よ、
ユダヤ人やキリスト教徒を、仲間としてはならない。
かれらは互いに友である。
あなたがたの中誰でも、かれらを仲間とする者は、
かれらの同類である。
アッラーは決して不義の民を御導きになられない。
- コーラン第5章51節 -

マホメッドにとって、キリスト教徒も彼の期待を裏切った背信の輩でしかありませんでした。こうして、唯一の心頼みだったキリスト教とも決然と袂を分たなければなりませんでした。とりわけマホメッドは、キリスト教の三位一体説を徹底して批判し、神の子イエスの存在について難詰します:
「神が子をもたれただと?」
「唯一絶対の神が、自分と並び称される者を持たれているだと?」
「いったい、神に対してこれほどの冒涜があるだろうか!」

マホメッドは、神の唯一性・絶対性・全知全能性を犯す多神教的な傾向を断固として排除しようとします。その最大の根拠となったのが次の一節でした:

彼はアッラー、唯一のお方であられる。
アッラーは自存され
産み給わず、産まれたまわぬ。
彼に比べうる何ものもない。
- コーラン112章1〜4章 -

この短い宣言の中に、イスラムの神の概念が見事に塗り込められています。イスラム教の宗派的自立です。イスラム教は、メッカの多神教との抗争、メディナでのユダヤ教・キリスト教との闘争を経て、ついにアラビア半島の一角に産声を上げたのです。そして、彼らとの戦いに勝ち抜きながら、630年にメッカ入城を果たしました。ラクダでカーバ神殿に入ってきたマホメッドは、そこに祀られていた一切の神々を打ち壊しながら、新たなるイスラムの時代の到来を宣言します。8年前、石をもて追われるようにメッカから逃亡した預言者は、アラビア半島を統一した勝利者として帰還したのです。彼の一生のなかで、最も晴れがましい瞬間でした:

言ってやるがいい。
「これこそわたしの道。
わたしも、わたしに従う者たちも、
明瞭な証拠の上に立って、アッラーに呼びかける。
アッラーに讃えあれ。
わたしたちは多神を信じる者ではない」
- コーラン第12章108節 -


● メッカ、栄光への行進


マホメッドは632年に死去しますが、その前年、メッカ巡礼を決意し、信者たちに呼びかけました。この時、マホメッドと共に巡礼を行った信者は10万人。このときの説教が、彼の実質的な遺言となりました。彼はまず、アッラーの唯一性や絶対性を賛美し、その慈愛を限りなく誉め称えました。また、アラブと非アラブの間、白人と黒人の間にいささかの相違もないことを強調し、その理由を、人が土塊から作られたアダムの末裔であることに求めました。その一方で、マホメッドは旧来の悪しき慣習を激しく批判・攻撃しました。イスラム以前の風習は断じて引き継いではならず、それ故、血の復讐は即刻取り止めねばならない、と。彼は、唯一絶対の神に帰依することを強調し、その神のもと、過去の慣習を改めて、互いが互いを同胞とする平等社会の実現を強く人々に説いたのです:

今日、我は汝らのために汝らの宗教を完成させ、
汝らに対する我の恩恵を全うし、
汝らの教えとして、イスラムを選んだのである。
− アラファにおいてマホメッドに下ったアッラーの啓示 −


● 世界最大の宗教 イスラム教の成立


かくして、イスラム社会の原型ができあがりました。ここに、マホメッドはそれを見届けるようにして息を引き取ります。610年にヒラー山で神の啓示を受けて以来、マホメッドは、632年に倒れるまでのわずか20年の間に、アラビア半島の人々に新しい宗教の息吹を吹き込みました。そしてイスラム教のメッセージがひろく受け入れられるにしたがい、マホメッドから砂漠の遊牧民の面影は消え、聖者の表情、アッラーの預言者の表情が強く浮かびあがることになったのです。

現在、彼の廟はメディナの預言モスクに置かれています。しかし、マホメッドの死にもかかわらずイスラムは急速に四方に伝播し、現在にみる巨大な版図と信者数を持つ世界宗教に成長してゆきました。今日あるイスラムの姿は、そうした歴史の所産なのです。

次のページにご紹介するハディースは預言者マホメッドの言行を伝えた記録です。折にふれて信者たちに示されたマホメッドの言行は,聖典『コーラン』の精神の適切な具体化として、難解な『コーラン』を真に理解するための鍵となっています。

イスラム −「神への絶対服従」の意。
コーラン − イスラム教の聖書のこと。
アッラー −「The God」即ち「神」。「アッラーの神」という言い方は誤り。
ムスリム −「服従し、帰依する者」の意で、唯一絶対神アッラーに帰依したイスラム教徒を指す。
ジハード −「聖戦」と訳される。布教のための戦いではなく、あくまでも防衛戦を指し、開戦には法的根拠を必要とする。
ザカート−「喜捨(きしゃ)」と訳される。すすんで寺社に寄付し、貧しい人に施しをすること。
ラマダン−イスラム暦の9月のこと。この月は断食の行が行われることから、「断食の月」とも呼ばれる。

40のハディース 黒田壽 訳


第1の伝承
行為とは意志に基づくものであり、人はみな自らの意志した事柄の所有者である。したがってアッラーとその御使いのために聖戦に参加した者は、アッラーとその御使いのために聖戦を行ったのであり、現世の利益,結婚相手の女のために聖戦に加わった者は,それらのために聖戦を行ったにすぎない。

第3の伝承
イスラムは5つの柱の上に建てられている。つまりアッラー以外に神はなく、マホメッドがアッラーの使徒であると証言すること。ならびに礼拝を行い、ザカート を払い,アッラーの家に巡礼し、ラマダン 月に断食することである。

第7の伝承
宗教とは誠実さのことである。そこで我々は訊ねた。「それは誰に対する誠実さでしょう」すると預言者は答えられた。「アッラーとその御使たち、ムスリムの指導者たち,一般のムスリムに対してである」

第13の伝承
自分自身を愛するように兄弟を愛すまでは、誰一人信者ということはできない。

第14の伝承
次の3つに該当しない限り、ムスリムの血を流すことは許されない。結婚した男が姦通した場合。一人の生命にたいする一人の生命。宗教を棄て、ムスリムの共同体を離れた場合。

第16の伝承
ある男が預言者にいった。「なにとぞ私に助言を与えて下さい。」すると預言者はいわれた。「腹を立てぬことだ」男はまた何度か同じ言葉を繰り返した。預言者はまた「腹を立てぬことだ」といわれた。

第22の伝承
ある男がアッラーの御使いに訊ねていった。「貴方は、もし私が定めの礼拝を務め、ラマダン月に断食を行い、許されたものを許されたもの、禁じられたものを禁じられたものとしたら、それ以上何をしなくとも楽園に行けると思われますか」すると御使いは「その通り」と答えられた。

第26の伝承
あらゆる人間のすべての手足の骨は、陽が昇ったら毎日施しをしなければならない。相手ときちんと付きあうことも施しなら、人が乗り物に乗るのを助けたり、そこに抱きあげてやったり、持ちものを渡してやることも施しである。優しい言葉も施しなら,礼拝に赴く一歩一歩も、道路から危険なものをとり除くことも施しである。

第31の伝承
ある男が預言者のところにやってきていった。「アッラーの御使いよ、私がそれをすれば、アッラーも人々も私を愛すような行いについて教えて下さい」すると預言者はいわれた。「現世から身をひけば、アッラーはお前を愛されるだろう。人々が所有しているものから身をひけば、人々はお前を愛すだろう」

第40の伝承
この世においては、異邦人か旅人のように暮らせ。